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院長紹介

【院長】 湯本 哲夫(ゆもと てつお)
(1954年10月29日生、AB型)
院長 湯本 哲夫
出身地 埼玉県熊谷市
最終学歴 酪農学園大学獣医学科(1977年卒)
一言 こころのあたたまる仕事を心がけたい

動物病院の仕事とは、動物病院に働くそれぞれの人が、“貴重な経験”を重ね、 豊かになることができれば、その結果として、 毎日出逢う動物たちや飼い主さんにこれまで以上の“幸せ”を運ぶことが可能となります。 “貴重な経験”を重ねて“幸せ”を運ぶことが私たちの毎日の仕事であるからです。


・・・居候よさようなら・・・

獣医師会の諸先生、飼い主さん、病院のスタッフはもちろん、 そのほかたくさんの方々の励ましやお叱りを頂きながら、 一人の臨床獣医師として今日まで過ごすことができました。 もちろん現在でも、励ましとお叱りを頂き、 臨床獣医師として診療技術の未熟さ故に恥じ入ることが多く、 人としての未熟さ故のトラブルに四苦八苦し、経営収支に頭をかかえる日々に変わりはありません。

そんな中、開業当初からの「居候」が相次いで亡くなりました。 いずれも捨て犬であったことから、失礼ながら「いそうろう」と呼んでいました。今 生の別れを迎え、改めていそうろうたちの存在を認識させられ、 また、その別れから獣医師としての自分を振り返る機会を与えられました。 彼と彼女らへの感謝を込めてこれを書きます。


シロ

2001年6月昇天、16年前に迷い犬として保護。人のこころを読む能力に優れ、 このため動物指導センター行きを免れ当院の居候となる。その立ち居振舞いが愛くるしく、 疲れたこころをよく癒してくれた。唯一の欠点は、猫を見ると突進し噛み付くという習性であった。 受難猫2頭が記憶に新しい。また、脊椎造影の実習を始めとして、 未熟な獣医師の課した幾多の試練を乗り越えた頑健な肉体の持ち主でもあった。 多臓器不全にて死亡。剖検時病理組織診断名:慢性腎盂腎炎。 肝小葉中心性うっ血と微小肉芽腫形成。胃噴門部平滑筋腫(多発性)。犬糸状虫症の肺病変。
動物病院に暮らしながらフィラリア感染を見過ごしてごめん。



2002年3月昇天、18年前にご近所から頂いた。 開業当初は新米獣医師と寝起きを共にした。飼主としてのしつけを誤ったためか、 長老としての威厳を最後まで身につけることなく、「ひめ」という名に似合わぬ習性の持ち主で、 散歩中彼女にこころを寄せる老人をも何度となく引き倒した。 その不従順さから病院スタッフを困らせ、問題行動の学習教材を演じ続けた。 しかしながら、幼いころ寝起きを共にした新米獣医師に対しては終生従順であった。 急性心不全にて死亡。剖検時肉眼病変なし。
ぶどう膜炎をうまく治療できなくてごめん

捨吉

2002年6月昇天、17年前に骨盤骨折、大腿骨複雑骨折のまま病院前に捨てられていた。 「すてきち」と命名。拙劣な手術にもかかわらず驚異的な回復を示し、 獣医師の外科手術に対する不安を和らげた。食べ物に対する異常なまでの執着があり、 その風貌から終生番犬を演じてもらった。捨て犬、捨て猫以外の侵入者はことごとく撃退した。 慢性腎不全にて死亡。剖検時病理組織診断名:慢性腎炎。肝の巣状のグリコーゲン蓄積と微小肉芽腫形成。
何度となく外科手術に協力してくれてありがとう。

ジュン

2002年10月昇天、17年前に飼主の離婚原因にされてしまい、行き場がなく引き取ってしまった。 可愛らしい外見と綺麗な毛並みにもかかわらず、里親に恵まれず、病院暮らしの生涯であった。 生涯を通じて、股関節形成不全、膝蓋骨脱臼、口腔内疾患、僧帽弁閉鎖不全症などの治療モデルを務めた。 急性心不全にて死亡。剖検時に肉眼病変なし。


晩年には、忙しいことを理由にして散歩することも、一緒に過ごす時間もほとんどとらずじまいで、 また最後まで診療が未熟でごめんなさい。けれど、残された居候たち、心不全の野良キョン、 輸血犬のケン太とラブ、外見からその名がつけられたヨーダ、それに腹膜透析を学ばせてもらったトム、 完全には痙攣をコントロールしてあげられないミータン、下半身麻痺のばな男とたけお、 ミケッチ兄弟、三度の里親先から三度戻ってきたミントなど、彼と彼女らの待遇改善を必ず行います。 また諸般の事情により、今以上に仲間を増やすことを約束できませんが、 さらなる診療内容の充実をここに誓います。
同士よさようなら、また会う日まで・・・

2002年11月  獣医師 湯本 哲夫


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